2008年8月24日日曜日

抜き書き












茂木健一郎 : 僕は、生命の本質というのは無名性にあると思うんです。命を支える働きって、ほとんどは無名でしょう。われわれの内臓、脳もそうですが、意識できることは本当にごく一部で、ほとんどの働きが無意識の中で行われているんですよね。文化財というものの命を伝えていくのが無名の仕事であるのと同じように、本当は命そのものも無名なんです。祖先がいなかったら、われわれは今ここにいないわけですよ。でも僕は、おじいちゃんの顔は覚えているけれども、曾(ひい)おじいちゃんの顔は知りませんからね。




プロフェッショナル仕事の流儀きのうの自分をこえてゆけ(茂木健一郎&NHK「プロフェッショナル」制作班 編)P91より抜粋













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2008年8月3日日曜日

無 争



















我あるが故に敵あり。我なければ敵なし。




敵といふは、もと対待(たいたい)の名也。




陰陽水火のごとし。




凡(およ)そ形象あるものは、かならず対するものなり。




我心(わがこころ)に象(かたち)なければ、対するものなし。




対するものなき時は、角(あらそう)ものなし。




是を敵もなく、我もなしと云う。






——「 訳 」——






自分があるから敵がある。自分がなければ敵もない。




勝ちたいとか、どうしようとか、こうしようとか




対立する概念としての自分をいかに消していくか。




争うものがなければ、敵もなく我もなし。




それがなければ、相手は独り相撲になってしまって勝負そのものが成り立たなくなる。




もし、自分が(俺が俺がという感じ)が無ければ、もう常に無敗でいられる。






剣豪の名言『猫之妙術(猫の妙術)』より











相手を攻撃するというのは、その大半が恐怖心からくる自己防衛。