2009年12月5日土曜日
利休のエピソード
清掃にまつわる千利休のエピソード。
ある日、息子の紹安(しょうあん)が露地を掃くのを眺めていた利休は、紹安が清掃を終えるやいなや、やりなおしを命じます。
「まだ、きれいになっていない」
父の言葉を聞いた紹安は、さらに一時間もかけて清掃をやりなおし、くたびれはてて利休に言いました。
「父上、もうこれ以上すべきことはなにもありません。飛び石は三度も洗いましたし、灯籠にも樹にもたっぷり水を打ちました。地面には小枝一本、木の葉も残していません」
しかし利休は、未熟者と言って紹安を叱りつけたのです。
「露地というものは、そのように清掃するものではない」
いきなり利休は庭におりて一本の樹をゆすり、金色や深紅に染まった木の葉を庭いちめんにまき散らしました。
利休は単なる清潔さだけではなく、自然な美しさを求めたのでした。
2009年11月27日金曜日
深さと広さ
高名な思想家であり、日本が誇るマクロビオティックという自然療法を提唱してきた桜沢如一という方の言葉に、「掃除をする広さと深さが、その人格に比例する」というものがある。
本当かどうかはわからないけれど、そういうこともあるのかもしれない。
「深さ」という点においては、僕達のようなハウスクリーニング業者は当然そうなるとして、「広さ」というのは年月をかけて行じていくともいえるのかな‥‥。
2009年7月25日土曜日
卓上四季
昨日の北海道新聞の卓上四季(社説)に、そうだなぁと共感できることが書かれていた。
「同じ売り込むのでも、押しつけのない方が心に残る。笛のようなピーという音が長く響けば焼き芋屋さん、チャルメラが聞こえればラーメンの屋台だ。来ているよ、と伝え静かに去る。ほしい人は、自ら近づいてゆく。どんなに宣伝されても不要なものはある。」
つまり、人の気持ちを汲み取るということが前提となっている。
一方、アメリカ式のマーケティングはどうだろうか?
ダイレクトマーケティングなどを研究してみると、どうも顧客を心理操作しようとする考え方がベースにあるような気がする。
「必要なものを必要な時に」という基本的なことからずれてしまうと、何とかしようとする操作的な戦術が生まれるのだと思う。
昭和の大量生産・大量消費の時代のテレビを利用したマスマーケティングなどは、その際たるものだろう。
最終的に、あるべき姿勢や行動は、シンプルで在りたいと思う。
2009年7月23日木曜日
言志四録
かの西郷隆盛氏は、「敬天愛人」という言葉を残した。
彼の精神的バックボーンになっていたのは、「言志四録」という書籍であったらしく、その中から百一条を抄出して金科玉条とし、常に座右の銘とし心の糧としていたという。
総て非常に困難な事に出会ったならば、心をあせらせて解決してしまう必要はない。
しばらくそのままにしておかなければいけない。
一晩そのままに留めておいて、枕元でざっと半分くらい考え、そのことを考えながら寝て、翌朝心がさっぱりしてさわやかな時になって、引き続きこれを考えてみると、必ずぼんやりと一条の解決の道が見えてくる。
そうなると、困難な事の筋道(道理)が自然に心の中に集まってくるものである。
それから、ゆっくりと難問題を一つ一つ処理してゆけば、たいてえいは間違いを起こさない。
☆言志後録45より
2009年5月26日火曜日
Hold My Own(屈しない)
今の時代に突破すべきは、同調圧力なのかもしれない。
屈しないことと心の声に従うことが大切。
同調圧力とは(はてなキーワードより)
自らの所属する集団から被る、その所属集団の多数が支持する意見や行動に対し、同調を迫る明示的、もしくは非明示的な圧力。
2009年5月12日火曜日
掃除の効果
5/6発売の日経別紙の特集記事によると、ストレス解消には掃除や片づけが効果的で、脳生理学的に理にかなってると云う。
- 拭く、掃く、磨くのようなリズム運動はセロトニン神経を活性化させて落ち込みを鎮める。
- きれいになった達成感は副交感神経の働きを高めてリラックスさせる。
- 物を捨てるとそれに付随する記憶も捨てる。これがないと新たな情報を入手する流れが滞る。
2009年4月27日月曜日
猫の死
今日の午前10時過ぎに、うちの猫(舞ちゃん)が永眠しました。
猫の17歳は、人間でいうところの90歳に相当するようですが、苦しむことなくスーッと旅立ちました。
うちは浄土真宗なので、お線香と共にお経の「正信念仏偈」を捧げながら、家族3人で冥福を祈りました。
その後、北区篠路福移にある動物管理センターに遺体を収容して頂き、静かな時間を過ごしています。
急な出来事だったので、まだ実感は薄いのですが、これから淋しさを感じることになりそうです。
2009年3月27日金曜日
猫の様子
猫の様子を観ていると、急な高齢化がはじまったと思われる。
いつも食べているヒルズの固形食を食べるのにひと苦労してるし、じっと座っていることも多くなってきた。
生まれてから、たしか17年になると思う。
まだまだ元気に長生きしてもらいたいと願うばかり。
2009年3月21日土曜日
捲土重来
かの老子は、「早く出たものは早く終わる。遅く出たものは遅く終わる。」と云っている。
徳川経済史を専門にしていた大石慎三郎教授も同じようなことを何かで書かれていた。
「権力というものは、それが確立するまでに30年かかると30年で滅びる。50年かかると50年で滅びる。」
つまり、性急に大きくした組織ほど崩壊するのも早いということだろう。
バランスが崩れると大いなる力が働くし、バランスの崩れ方が激しければ激しいほど戻しの力も激しくなる。
それは振り子のようなものであり、大きな振りの後には一番下に戻そうとする力がより強く働くことになる。
捲土重来 (けんどちょうらい)という言葉があるように、すべては流転するのが自然の摂理にかなっているということだろうか‥。
無抵抗
スコップで雪山をザクザクと掘り起こしていた。
覆われた雪は1METER位あった。
何度も何度も雪山に足が埋まる。
しかし、足の力を抜いて、抵抗しないようにすれば足を痛めることはない。
力を入れるのではなく抜く。
自然には逆らわないし、逆らえない。
自然無為という言葉が脳裏を過ぎっていった。
2009年2月15日日曜日
剪定格言
樹形は自然から学べ
野すかしから始めよ
どのような樹形にするかが決まったら、不要な枯れ枝、大枝、中枝を切りあがり、上から頂枝(シン)を決め切り下がる。
上は強く下は軽く
木は上へ上へと伸びてゆく物なので、上の方は強目に切り、下の方に向かって、次第に軽くすると、木全体に日当たりや風通しも良くなり、病害虫の予防にもなる。
迷ったときの枯れ枝
何年も手入れしない木で、どこから手をつけようかと迷ったときは、まず枯れ枝を抜く。
切り方・・・枯れ枝が見えたら太いところまでたどって切る。
注意・・・枯れ枝の中にはその枝が樹木の形を作っている事があるのでその枝を残す。
枝先は自然に折れたように見せる・・・盆栽のジン(見えないところにハサミの切り目、ノコ目を入れ折る)
枝先は浅からず、深からず
外芽の上、平行に3〜5mm
浅いと・・・不定芽出る
深いと・・・芽をつぶす
視線より上は切り口を上、下は下
大きな枝の切り戻しや枝すかしの時、切り口が視線から見えないように
大葉ものは葉をすく
枝をいじめたら根もいじめよ
枝葉を強く吸ったら葉から十分に蒸散されなくなり、又、根は自分で水分の吸収の調節をしないで余った水分は根や幹に残り、腐って木を枯らす。
シラカバ・・・肌がデコボコ
ウメは裸で登れ
幹に近い部分に空間があるようにウメは短枝に実をつけるのでたくさん残す。
バラはヤゴを残せ
2009年1月23日金曜日
所有→利用
年が明けて、何とか自宅の買い手も決まって、あわただしさも一段落しつつある。
1999年に日本経済新聞社から出版された本に、「所有から利用へ—日本経済新世紀」という本があるのだけど、なかなか参考になる経済やライフスタイルの予測が書かれている。
少子高齢化、資産デフレが進行するもとでは住宅を所有する意義も薄れつつある。それぞれのライフスタイルに応じて住宅を借り替えていく方向に変わりつつある。価値観は写真のポジとネガのように逆転さえし始めている。これらは言ってみれば、「所有」することから「利用」することへの流れである。
〜中 略〜
こうして「所有(所有権)」から「利用(使用権)」への変化が進むにつれて、住宅の住み替えに象徴されるように、他の優れた資源やノウハウを借りて「利用」すること、すなわち「レンタル」が21世紀の中心的な思想になっていこう。「所有」に含まれていた無駄な部分が、「レンタル」によって解消されていくことになるのだ。
もちろん、ひとつの予測的意見に過ぎないともとれるけれど、最近脚光をあびているブランドバックを始めとしたレンタル。さらには会社経営においても、資産価値が低下していくデフレの時代には、どれだけ資産を所有しているかではなく、限られた期間に人・モノ・カネをどれだけ有効に「利用」できるかで優劣が決まる傾向がある。
過剰な所有が企業を苦しめていることを考えると、おぼろげながらも新しい時代にどう生きていくかの指針が見えてくるような気がする・・。