2014年2月27日木曜日
ひそかな喜び
ここ数日、暖かい日が続いている。
今日の札幌は、最高気温6℃~7℃と昨日より暖かい。
テレビやラジオのニュースで、「屋根からの落雪にご注意下さい!」と呼びかけているように、ひと塊の雪が何トンにもなったりするので、歩く時はいつも以上に注意が必要になる。
明日からは、また少し気温が下がるようだけど、こうして少しづつ春に向かう気配を感じることは、ひそかな喜びになっている。
2014年2月17日月曜日
2014年2月11日火曜日
尺 度
その経験が同じことで苦しんでいる人を助けることができる。
自分の持ってる経験は、尺度(スケール)になる。自分自身の中にスケールを持っていれば、相手に共感するだけでなく、相手の深い部分で絡まっているものを紐解くことができる。
それは自負していい。世のため人の為になる。(今井通子)
2014年2月10日月曜日
希望の礎
ラジオのスイッチを入れて、都知事選の速報を聞いていた。
20時に番組が始まるや否や、「舛添氏の当選確実」とのアナウン
自分は、とりたてて支持政党はないけれど、今回の都知事選に関し
それは、東京が放射能に汚染されていることを認識している唯一の
非常にクレーバーな頭脳は、演説の動画やツイッターの文章などか
彼が今回の選挙で訴えてきたことは、未来への希望の礎となること
2014年2月4日火曜日
2014年2月2日日曜日
山のてっぺん
人生でぶつかる壁がどんなものであろうと、山のてっぺんを見ろ、という言葉をいつも思い出すんだ。
そうすれば、おまえは偉大なものに心を向けていることができる。
このことを覚えていれば、どんな問題にぶつかっても、それがどんなに乗り越えがたく見えるときでも、おまえをくじけさせることは出来ないだろう。
どんなものでも、あの山のてっぺんよりは低い。
そんなものが、おまえを悩ませることはできないからな。
これが、わしがおまえに残しておきたいと思う、ひとつの考えだ。
いつかわしらがまた出会うことになるとしたら、それはあの山のてっぺんだろう。
アルフォンソ・オーティズ(テワ族)
空の一点
空の一点に意識を向ける。
クリアになって、より集中しやすくなる。
ふ〜っと力を抜いて・・・
何も考えていませんでした。
5投目を終えて、フィールドに寝そべっていたとき、静かに自分に集中していました。
人が見ていないところを見ていたんです。空を。
観客は試合を見ています。空なんか見てないじゃないですか。
人が、全然注目していないところには、やはり、こうエネルギーが集まっているんです。
人が注目していないものというのには、エネルギーがあります。
集中するときに僕は、たった1つのものとか、そういうものを大事にしています。
みんなが見ていない空を見ていると、僕は1人になれる。集中できるんです。
周りが明るいから、星も見えない。
でも、ずっと見ていたら、1個、星が見えたんです。
誰も、見ていない星、それを見ていました。
自分から星を探したんじゃなくて、ぼうっとしていたら、星のほうから、飛び込んできたんです。
自分から見るんじゃなくて、必要なものは向こうから飛び込んできます。
待つというのが大事なんです。
暗い中の光でした。
それで「いける!」と確信して投げたんです。
室伏広治選手/アテネ五輪(ハンマー投げ)金メダリスト
陸上競技マガジン10月号より
2014年2月1日土曜日
クリア
創作活動や執筆活動をする時、一番大切なことは
自分をいかにクリアでピュアな状態を保てるかにかかっている。
アーティストは神様に使われている道具である。
自分で書いているのではない。
自分は神様に書かされている楽器である。
自分をクリアにして心が澄んでいれば、神様が乗り移って始めて書き出せる。
脚本家/倉本聰
このことは、音楽、スポーツ、芸術、踊り、経営・・・すべてのジャンルに通じる真理のような気がする。
倉本監督だけでなく、数多くの人達が同じようなことを言っている。
ピアニストの松居慶子さんの曲も、ピアノの前で曲が降りてくるのをじっと待っていて生まれてくるものだという。
そうした、クリアな心から生まれてくるものは、自然と人の心の奥底へと響いていくことになる。
そして、それは、小手先なエモーショナル(感情を動かすテクニック)のように安っぽさを感じさせるものではない・・・
本物とは、クリアな心から生まれてくるものであるように思う。
バナナとブルーベリー
スウィーティオのバナナ。「昼夜の寒暖差があるフィリピンの高地で栽培しています」との説明が書かれている。
それを見て、ふと、ブルーベリーのことが脳裏に浮かんだ。 ブルーベリーには面白い特徴があって、休眠芽の萌芽には、冬季の気温7.2℃以下の時間が800時間以上の低温は必要である。つまり、一定以下の寒さを体験しないと芽を出さない。
逆を知ることも大事・・・それによって、新たな構成要素が生まれる。。
卓上四季
もうかなり前になるが、北海道新聞の卓上四季(社説)にこう書かれていたことがあった。
「同じ売り込むのでも、押しつけのない方が心に残る。笛のようなピーという音が長く響けば焼き芋屋さん、チャルメラが聞こえればラーメンの屋台だ。来ているよ、と伝え静かに去る。ほしい人は、自ら近づいてゆく。どんなに宣伝されても不要なものはある。」
つまり、人の気持ちを汲み取ることが前提となっている。
一方、アメリカ式のマーケティングはどうだろうか?
ダイレクトマーケティングなどを研究してみると、どうも顧客を心理操作しようとする考え方がベースにあるような気がする。
「必要なものを必要な時に」という基本的なことからずれてしまうと、何とかしようとする操作的な戦術が生まれるのだと思う。
昭和の大量生産・大量消費の時代のテレビを利用したマスマーケティングなどは、その際たるものだろう。
最終的に、あるべき姿勢や行動は、シンプルで在りたい。