当時住んでいた家から幼稚園へ行くのには、国道39号線を渡らなければならなかった。
信号がちょうどいい場所になかったので、母が車が走っていないことを確認してから「それっ!」と背中を叩いてくれるのが合図となり、国道を無我夢中で走り抜けて幼稚園に通っていた。4歳から5歳までの2年間だった。
母と別れることになった去年の僕は、数えで39歳。
��9号線と39歳が、僕の中で有機的に結びついて融合する。ある種の象徴のようにも思えてくる。
「39歳からは、ひとりで生きていくんだよ。」
国道39号線をひとりで渡っていたことに、そんな未来へのメッセージ性が秘められていたのかなと思うと不思議でならなかった。
このコメントから想像出来る懐かしい光景は自分の脳裏にも刻まれていてあたかもそれが昨日の事のように思えます。
返信削除亡くなられた後でもメッセージをしっかり送ってくれるなんて本当に優しくて立派なお母さんだと思います。自分も可愛がってもらった者の一人として在りし日を偲び感謝を捧げたいと思います。
��karutschさん
返信削除ありがとうございます。
去年の秋に(自分の)通っていた「旭川大学付属幼稚園」の前を通ってきましたが、あの辺りは本当に変わっていて驚きました。でも面影は残っていて懐かしかったです。
一昨年前39号線のあの附近にクリニックを担当させて頂いたのですがそれも何かの縁なのかもしれませんね・・・・・その当時はやはり懐かしい思いで一杯になってましたヨ
返信削除��karutschさん
返信削除あの付近のクリニックを設計されたんですね。
何かのご縁かもしれないです・・。
��あの)地域を古くから知っている人が設計した建物には、歴史とか思い出も継承されていくような気がします。