日本に古来から伝わる武士道精神。
「武」という文字は、「戈(ほこ)を止める」という意味を持つ。
「戈」というのは、剣で相手を突き刺し、傷つけやっつけるということであるが、それを止める。
つまり「戈を止める」というのは、争いの思いを消し去るという意味のようである。
「武」というのは、戈を止める、争いを静める、愛の心・・・
その心を生きるのが、「侍」であり「武士道」であるという。
「武士道とは、死ぬ事と見付けたり」という言葉の本当の意味は、大きな目的(世界の平和・みんなの幸せ等)の為に自分を捧げ尽くし、小さな自我の心を死に切って、大きな自分を生かしていくということ・・・
反対に、相手を攻撃するというのは、その大半が恐怖心からくる自己防衛であることが多い。
そのことについて、分かり易く本質を突いている文章があったので、引用させてもらうことにします。
我あるが故に敵あり。我なければ敵なし。
敵といふは、もと対待(たいたい)の名也。
陰陽水火のごとし。
凡(およ)そ形象あるものは、かならず対するものなり。
我心(わがこころ)に象(かたち)なければ、対するものなし。
対するものなき時は、角(あらそう)ものなし。
是を敵もなく、我もなしと云う。
——「 訳 」——
自分があるから敵がある。自分がなければ敵もない。
勝ちたいとか、どうしようとか、こうしようとか
対立する概念としての自分をいかに消していくか。
争うものがなければ、敵もなく我もなし。
それがなければ、相手は独り相撲になってしまって勝負そのものが成り立たなくなる。
もし、自分が(俺が俺がという感じ)が無ければ、もう常に無敗でいられる。
剣豪の名言『猫之妙術(猫の妙術)』より
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